第五回 こころに描く人々

南山に鼓打てば、北山に舞う

ものごころついてより、私はややひきこもりである。今も昔もふだんは最低限のひとに会う以外、どなたにもお会いすることなくひっそりと暮らしている。幼い頃から、なぜか世の中と距離をとってきた。が、そればかりでは良くないとも思い、ときどき勇気を出して人前に出るようにしてきたのだが、それがなぜか極端な考えも及ばないご仏縁や経験を招く。「天地人」のこともそうした流れのひとつであった。
 冒頭の句は小説のなかで、魚野川をくだる川舟の上でおせんさまが直江兼続に諭す禅語である。この世はひとりの力ではどうにもならない。多くの人々が互いに関係しあって、はじめて世の中は動くという意味である。ひきこもりの私が、「天地人」の日々から学んだことは、まさにこのことばに凝縮されているように思う。ビルの中でも山間でも、たくさんの人々がそれぞれの持ち場で、役目を果たすべく日々黙々と努力している。皆、人生や人間に対する希望や信頼を心の底に温めている。そうした人々の働きや心の営みがときに、その周囲はもちろん、野越え山越え、時を超えて、はるか彼方のことがらにまで影響を及ぼし、大きく響きあっていくのだということを、4Dの絵巻物かなにかのように見せていただいたのである。「天地人」の人々との出会いを通して、絵にも描けない壮大なスケールで私のこころに刻まれたもの、それを表現する術を知らないことが惜しまれる。
 連載挿画を描き始めた平成十五年からの約八年間を振り返ると、多くのお顔が心に浮かぶ。六日町、与板町の天地人のふるさとの方々、長岡市をはじめとしたゆかりの各都市の職員のみなさん、大河ドラマ決定前に唯一お声がけいただいた北越紀州製紙さん、お米を扱う人々ならではのお心遣いを教えてくださった岩塚製菓、サトウ食品のみなさん、惜しまれて撤退された新潟大和の方々、新潟日報のみなさん――一度だけお会いしただけの方々も、何度も繰り返しお世話になった方々も、それぞれに印象が残り、ふとしたときに思い出す。人間とはみなそういうものであろう。ときおり、それほど親しく長くおつきあいしたわけでもない方や、二度とお会いすることもないだろう人のイメージがふいに訪れ、どうしていらっしゃるだろうか、お元気でいらっしゃるだろうかと思い出す時間、これが人生を豊かにしてくれる。さらにひきこもりの特技で、会わなくてもどこかでつながっているような気がするということも手伝って、それは風味絶佳の得がたいひとときとなる。
 平成十七年に460回の連載が終了し、いったん息絶えたかのような気持ちになったが、平成十九年の大河ドラマ化発表により新たな霊力が吹き込まれ、ひとつの経験を幾重にも追体験できたこと、正常な人間関係の中にあるひとでもあまり出会わないようなあまたの方々との一瞬の出会いのなかで感受できたこと、大きなことも小さなこともすべてが形容しがたく、恵まれたことであった。感謝してもしきれず、何に感謝すればよいのかもわからない。
 これから何十年か先に、「天地人」と越後の人々から授かった賜りものに少しでも恩返しができるようになる日が来ることを祈りつつ、じっと手みたり、遠く空を仰ぎ見たりの年の瀬である。あの方、この方と、たくさんのお顔を思い浮かべながら、ふだんは意識することのできない深い深い心の奥から湧き出てくる、この清らかな謝念を送りたいと思う。

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