第二回 ふるさとの人々

 「天地人」をとおして出会った人々のなかでもっとも忘れられないのは、「地元の武将を大河に」と、連載のずっと以前から何十年にもわたり、地道な活動を続けてこられた六日町、与板の方々である。ご招待いただいた記念の式典で歓待して下さった方々は、初対面でも懐かしい再会であるかのように心が通い合い、拙い仕事によろこんで下さり、大切にしていただいた。総じて大勝利をおさめた「天地人」であるが、私の挿画は力及ばず負け戦であったと思っているので、例えるならば敗戦の兵をあたたかく迎えてくれたふるさとの人々、である。その無条件の慈しみ深さにどれほど胸打たれ、励まされたことだろう。ご挨拶で御礼を申し上げていると、涙声になってしまうこともたびたびであった。
 もうひとつの印象的な経験は、大河ドラマ化決定後の度重なる訪問の際、移動中の車窓から眺めた天地人のふるさとの景色によってもたらされた。雪景色の坂戸山、雲洞庵の杉林、山古志村の棚田、与板の田園地帯など、連載中は限られた資料のほか、孤立無援、乏しい想像力だけをたよりに描くほかなかった風景を、はじめてこの目で見ることができたとき、時間と力量の不足で描ききれなかった不十分な部分が、歳月を経て許され補われていくかのように感じられたことである。それは大河ドラマ化のために、十数回という信じられない回数を重ねた挿画展にいらして下さった人々が、作品を楽しんで下さるうちに、うまくは描けなかった絵にも何らかの意味が授けられていくかのようで、痛み入り、ありがたく感じられたこととならび、めぐりあった方々のおこころの篤さに導かれてこそ、体感できたことではないかと思う。
 幼い頃からの憧れであった日本画の絵の具をはじめて手にしたのは、十八の春、大学時代に通いはじめた国立の日本画教室でのことであった。東京の大学に進学が決まった直後、父が急逝し、それでも上京をゆるされ、勉学とともにお稽古ごとにも励むようにと母に諭されたので、迷わず日本画を習うことにした。
 それからさまざまな不思議な出会いと紆余曲折を経て、計らずも画業を志すことになり、よろこびと苦悩の狭間でたくさんのことを学ばせていただいている。半人前にも満たない私が今、「天地人」と越後から授かった日々を思うとき、国立の住宅街のお教室に通っていた頃の心細さ、希望をもとめる気持ちが呼び覚まされ、その上に天の羽衣のような“慈悲”の薄絹がそっとかけられたかのようなイメージが心に浮かぶ。

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